ブレトンウッズ体制は、戦後の国際通貨体制このこと。
しかし、「金との兌換」「固定相場」など経済学的な話も加わるためイマイチ理解しづらい人も多いのではないでしょうか。
この記事ではそんなブレトンウッズ体制(協定)について、わかりやすく解説します!
ブレトンウッズ体制とは
ブレトンウッズ体制とは、第二次世界大戦後の国際通貨体制のことです。ブレトンウッズ協定とも言われます。
その内容は、主に次のようにまとめられます。
※1オンスは1トロイオンスのこと(ヤード・ポンド法の1オンスは約28g)
協定がアメリカの「ブレトン・ウッズ」という場所で結ばれたために「ブレトンウッズ体制」と呼ばれています。
協定には連合国(日独伊と戦っていた国)44か国が参加し、1945年に発効しました。

(登壇しているのはモーゲンソー)
ブレトンウッズ体制の中身
ブレトンウッズ体制の具体的な中身をわかりやすく解説します。概説すると、主に下記3点になります。
1)金とドルを兌換する
ブレトンウッズ体制では、まず、アメリカドルを金(ゴールド)との兌換紙幣にしました。
金(ゴールド)と、あらかじめ決められた額の紙幣を必ず交換できる貨幣制度のこと。
ジュエリーとしての金の売買とは異なり、交換希望者が中央銀行に行くだけで、金庫に保有している金と必ず交換ができた。
そして、金とドルのレートは、
金1オンス(約31.1g)=35ドル
と決められました。
これにより、ドルはアメリカの中央銀行に行けばいつでも金に交換ができます。
金は「通貨」にするのに極めて優れているといわれています。それは
といった理由からです。
この「価値のある金」と「ドル」が交換できるということは、ドルの価値が金によって保証されたことになります。
2)ドルとの固定相場制
さらに、そのドルとほかの国々の通貨を固定相場制としました。
1ドル=●円と、中央銀行が価格を決めてしまうこと。
市場の売買で自由に決まるのが変動相場制。
例えば、日本円とドルの固定レートは次の通りです。
1ドル=360円
1ドル360円は有名ですが、他国通貨も同様でした。
例えば
- 英国は1ドル=2.8ポンド
- フランスは1ドル=350フラン
- 西ドイツは1ドル=4.2マルク
などとなっています。
これにより、各国の通貨は、(金によって価値の保証された)ドルに価値を保証されたことになります。
3)IMFと世界銀行を設立
第一次世界大戦後では、どこかの国が通貨危機に陥っても、それを国際的に助ける仕組みがほぼ存在しませんでした。
このために混乱が長く続き、戦争につながったと評価されました。
その反省から、IMF(国際通貨基金)と世界銀行(国際復興開発銀行)が創設されました。
| 機関名 | 設立の目的 | 主な事業の内容 |
|---|---|---|
| IMF (国際通貨基金) | 通貨危機・金融危機に陥った国を緊急に救済する | 危機時の資金の貸し付け |
| 世界銀行 (国際復興開発銀行) | 戦後復興のための資金融通を行う | インフラ投資目的の事業に対する長期資金の貸し付け |
IMFはアジア通貨危機などで緊急融資を行い、世界銀行は日本などに融資を行いました。
日本は世界銀行の融資で首都高速道路や東海道新幹線などの建設を行っており、その資金は1990年に完済されました。
ブレトンウッズ体制の目的
ブレトンウッズ体制はなぜ結ばれたのでしょう?
その理由、つまりこの体制が実現したい目的を理解するとぐっとわかりやすくなります。
為替を安定と自由貿易の促進
ブレトンウッズ体制の目的は、
- 為替レートの安定を早期に図ることで戦後復興を早めること
- 自由貿易を促進して西側(資本主義陣営)の発展を図ること
にありました。
為替レートの安定と戦後復興の関係
まず、ブレトンウッズ体制により、固定相場とすれば為替レートが安定します。
そうすれば、戦後復興につながる資材等の貿易がしやすくなります。
戦争終結時は、各国が戦費調達のために通貨を乱発していました。
通貨の管理が行き届いていない状態だったわけです。
そのため、為替市場は機能していないか、乱高下を繰り返す不安定な状態になっています。
このような状態になると、収益の見込みが立たず、貿易などの経済取引がしづらくなってしまいます。
各国は戦後復興のために、復興資材の輸出入を頻繁に行う必要があるために、このままでは資材の輸入が思うようにいかず、復興が遅れてしまうそれがあります。
そこで、
1ドル=360円
と、政府が決めてしまうことで、安心して貿易が行えるようになったわけです。

なお、戦争直後で、国民からは政府も信用がなく、1国だけの力では、固定相場を維持する余力も少なくなっています。そのため、これまで見てきた通り、
- 「ブレトンウッズ協定」として国際的に約束をする
- この時最も信用力の高かった米国ドルを基軸にする
- 米国ドルも、金(ゴールド)との兌換制にする
とすることで、効果の実効性を担保しました。
自由貿易の促進と西側陣営の発展
為替の安定や早期の戦後復興は、同時に自由貿易の促進につながります。
自由貿易が活発になれば、資本主義国にとっては、発展するチャンスとなります。
第二次世界大戦時が終わり、世界では冷戦がはじまりました。アメリカを中心とする資本主義国(西側)と、ソ連を中心とする共産主義国(東側)との対立です。
戦後、西側が東側に負けずに発展していくためには、資本主義の象徴である自由貿易を発展させる必要がありました。
生産量や生産する商品を全て国が管理する「計画経済」を取る社会主義(共産主義)に対し、商人が各々自由に生産し互いに交換する「自由貿易」は資本主義を象徴していました。
それに加え、自由貿易こそ、経済効率を最も高め、人々の経済厚生を高めるという比較生産費説という理論により、自由貿易が行われることが西側の経済的発展に資するといわれていました。
こうした地政学的な理由もあり、第二次大戦の終わりが見えた1944年にブレトンウッズ協定が結ばれたわけです。
ブレトンウッズ体制の効果
ブレトンウッズ体制は、一応の成功を収めたと評価されています。それは以下のような理由からです。
戦後のドルを基軸通貨とした通貨体制が確立されたことで、現代でもそれをベースに安定的な国際貿易が行えるようになりました。
日本と西ドイツは工業化を急速に進め、それぞれ世界第2位、第3位の経済大国にまでなることができました。
アメリカが積極的に国際経済に関与するようになったのも大きいでしょう。
第一次大戦後に第二次大戦が防げなかったのは、アメリカが国際政治に関与したがらず
「統括してくれるボスの不在」
がその原因の一つとも言われていたからです。
※ただ、ベトナム戦争など「関与のし過ぎ」でかえって不安定性を高めているのではという指摘もあります。
一方で、ブレトンウッズのみが良い効果をあげたと断言はできません。
他にも戦後政策はさまざま行われていたからです。
例えば、日本はブレトンウッズ以外に、
- ドッヂライン
- 農地開放
- 労働の民主化
などの各種民主化政策が進められました。

ヨーロッパではマーシャルプランによって、アメリカからの莫大な経済支援があったからこそ発展できたという事実も忘れてはなりません。
ブレトンウッズ体制の崩壊
ブレトンウッズ体制は戦後十数年はうまく機能していました。
しかし、1971年のニクソン・ショックをきっかけに崩壊へ向かいました。
崩壊の経緯「ニクソンショック」
1971年に、アメリカのニクソン大統領がドルと金の交換停止を発表しました。
突然のことでしたので国際政治も経済も大混乱でした。
これを「ニクソンショック」といいます。
これで、制度の土台だった「金ドル本位制」は維持できなくなります。
その後、各国は固定相場制を続けるためにスミソニアン協定を結びましたが、市場の圧力に耐えられず、1973年には主要国が固定相場制を放棄し、現在の変動相場制へ移行しました。
- 1971年8月ニクソンショック
米国ニクソン大統領が「ドルと金との交換」を停止する宣言を突如行う
- 1971年9月各国は次々に変動相場制へ移行
8月からすでに移行する国もあった
- 1971年12月スミソニアン協定
1ドル=308円とする新レートでの固定相場制を開始
- 1973年2月完全な変動相場制へ移行
ブレトンウッズ体制が完全に崩壊へ
ブレトンウッズ体制が崩壊した理由
ブレトンウッズ体制が崩壊した最大の理由は、世界経済の成長で金との兌換性が維持できなくなったからです。
崩壊をスッキリ理解するために次の順序で説明します。
- ドル流出が加速
- 金兌換への疑念
- 体制崩壊の圧力
1)ドル流出
戦後、日本や西ドイツが急速に工業化を成し遂げ、輸出に強い国(経常黒字国)になりました。
逆にアメリカは、輸入や海外投資などのために、ドルの海外からの受け取りよりも、支払いが多くなりました。(ドル流出)
1960年代のベトナム戦争などでも戦費調達のために大量のドルが発行され、ドル流出の動きに輪をかけました。

2)金兌換への懸念
金ドル本位制を維持するには発行した量と同じ程度の十分な金が必要ですが、上記のようにドル流出が増え続けると、アメリカの金準備では支えきれなくなります。
ここで「金の保有量以上の貨幣は一切発行しないのが金兌換制度」だと誤解している人もいるのですが、実は、歴史的には金の保有量以上の貨幣は普通に発行されています。
銀行の「取り付け騒ぎ」と同じで、一度に金との交換に人々が来なければ、金の保有量<貨幣量 でも即座には問題が生じないからです。そういう意味では金兌換制度は緩い管理通貨制度と言えます。
逆に言えば「取り付け騒ぎが起きなければ」と少しずつ金保有量よりも多い通貨発行が行われ、いつか支えきれなくなるわけです。
世界で出回るドルの流通量が、アメリカの保有する金保有量を大きく上回るようになりました。
すると、ドル保有をしている国は
「本当にドルを金へ交換できるのか」
という不安を抱くようになりました。
3)体制崩壊の圧力
そのために、各国が金との交換を求め始め、アメリカの金準備は急速に減少していきました。
- 本当に金と交換できるかわからない通貨
- 装飾品としての価値や流通量がほとんど変わらない金
であれば、だれもが金を欲するからです。
しかし、アメリカの中央銀行に保管されている金が本当に0になってしまえば、金とドルに裏打ちされたブレトンウッズ体制は維持ができなくなります。
そうしている間にも、多くの国々がドルを金に交換するよう圧力をかけ、体制は崩壊寸前でした。
そこで1971年、アメリカのニクソン大統領はドルと金の交換を停止したのです。
自然崩壊する前に、人為的にコントロールできる範囲で停止させたかったのだと思われます。
一時、スミソニアン協定により、新レートで新たな固定相場制度を運営しようという動きもありましたが、市場の「ドル売り」圧力には抗えず、なし崩し的に現在の変動相場制へ移行しました。
つまり、ブレトンウッズ体制の崩壊は、「世界経済が成長するほど金ドル本位制を維持できなくなる」という制度そのものが抱えていた限界によって引き起こされた出来事だったのです。
ブレトンウッズ体制崩壊のその後
ブレトンウッズ体制が崩壊するとその後世界はどうなったのか、簡単に解説します。
変動相場でより自由な国際経済へ
ブレトンウッズ体制が崩壊して変動相場制になると、1ドルは360円から2010年代には80円台になりました。
ドルの価値は約78%減り、逆に円の価値は約4.5倍になりました。
現代、これだけ自由な経済活動が行われていれば、為替レートを政府が固定するのは、価格メカニズムが市場の最適配分を実現するという経済学の考え方からして適切ではなかったでしょう。
ただ、戦後の復興を支える限定的な措置として、固定相場は意義がありました。
その後、時代の要請にこたえてより自由な変動相場制に移行したと為替市場に求められる役割が変わっただけとみることもできます。
IMFと世界銀行の体制は続いた
一方で、ブレトンウッズ協定時に創設されたIMFと世界銀行は、現在でも機能しています。
世界銀行は長期融資により日本の復興などを支えました。
IMFも、その後通貨危機に陥ったロシアやアルゼンチン、そしてアジア通貨危機に見舞われた国々等に支援を行うことで危機の広がりを抑えています(※)
(※)ただし、支援の過程に過激な緊縮財政の強要があるなど、批判する向きもあります。
まとめ
ブレトンウッズ体制とは、各国通貨をドルに固定し、ドルを金と交換できるようにしたことで、戦後の国際通貨秩序と貿易拡大を支えた制度でした。
その過程で、ドルの基軸通貨体制やIMF体制など、現代にも通じる様々なスタンダードができた協定でもあります。
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▼参考文献
- U.S. DEPARTMENT of STATE「The Bretton Woods Conference, 1944」
- IMF「The End of Bretton Woods?」
- 川本和彦「理解しやすい 公共」文英堂、2023(上記)


