第二次世界大戦後に取られた民主化政策の一つが「農地改革」です。「農地解体」「農地開放」とも言われます。
この記事では、戦後の農地改革の目的や中身についてわかりやすく解説します。
農地改革とは
農地改革(農地開放)とは、第二次世界大戦後の日本における、農地の民主化政策のことです。
大地主(寄生地主)たちから小作人(土地を借りて農業をする人)に土地を渡す政策のことです。
超大雑把に言えば、
大富豪から土地を取り上げ、貧乏人に配る政策
です。
具体的には、大地主から日本政府が強制的に土地を安く買い上げ、「小作人」に売り渡すことで実現しました。

現代の日本は農業従事者が数%しかおらず、実感がわきづらいですが、戦争直後は30%ほどの国民が農業を営んでいるため、この政策は大変重要な日本の民主化政策の1つになりました。
では、なぜ寄生地主から土地を奪う政策をする必要があったのでしょうか?
農地改革の目的とは
農地改革の目的は、二度と戦争が起こらないような制度に変えることです。具体的には、戦前、日本にあった封建主義的と呼ばれる体制を、民主的な体制に改めるために行われました。
戦後、日本を占領したGHQ(連合国総司令部:戦勝国から成る日本の占領・統治組織)は、日本が無謀な戦争に突き進んだ原因を、軍部の暴走と、それを許した日本国内の封建的な制度にあると見ました。
要は、大富豪が日本を牛耳っていたのが戦争の原因だ!ということで、土地を取り上げて大富豪を弱体化させ、小作人に資産を与えて権力を強くし、民主的にしようとする政策です。
戦前の日本の農地制度「封建制度」とは?
封建制度とは、大地主(土地持ち)が、小作人(土地なし)に土地を貸す見返りに、その土地を耕し、守る義務を与える制度です。
一見、封建制度は地主と小作人のギブ&テイクの関係に見えます。しかし、実は違います。
小作人はその土地を追い出されると、住む土地と仕事両方を失って、たちまち路頭に迷ってしまいますが、大地主はまた別の小作人を雇えばよいだけです。立場は大地主の方が上になるわけです。
現代の賃貸住宅も関係性は似ていますが、通常、借主は仕事は別にあるので、マンションを追い出されても小作人のように路頭に迷うことはありません。関係性はほぼ対等です。
だから小作人は大地主の言うことに従わざるを得ません。
これは王様と国民の関係性と似ています。民主制ではなく王権制です(封建制だけど)。
これを考えると、封建制度の残る農地は、戦後日本の民主化を進める際の大きな障害になるとGHQは考えたのでした。
なぜ「農地改革」が重要なの?
農業国家ではない現代日本では、「なぜ“農地改革”が公共などの教科書に載るほど重要なのか」が想像しにくいかもしれません。
なぜ農地改革がこんなに重要なのかというと、日本の農業人口はかつてはとても多く、農業政策が国の政策に大きく影響を及ぼしたからです。次のデータを見てください。

日本の農業・漁業などを含む第一次産業の就業人口割合は、大正時代から戦後の1950年代くらいまで50%前後を推移しており、第二次産業、第三次産業よりも圧倒的に多いです。
高齢化が進む現代日本では高齢者政策が国を左右するのと同じように、戦前や戦後は農業政策をどうするかで国の進む方向が大きく変化したわけです。
農地改革の内容は?
それでは、具体的に農地改革の内容を見ていきましょう
1)政府が大地主から土地を低額で強制的に買収
農地改革の第一歩は、まず、政府が寄生地主から土地を低額で強制的に買収しました。
強制的に取り上げるのではなく、一応お金は支払いました。しかし、敗戦直後は日本は激しいインフレーションに見舞われていました。例えば今日100円で買えたジュースが、数か月後には200円、その後は500円になっている…というような混沌とした経済です。
そのため、大地主は自分の所有する農地という財産を事実上タダ同然で取り上げられたのと同じダメージを負いました。
2)小作人に安く売り渡し
政府が買い取った農地は、速やかに、その土地で実際に農作業に従事していた小作人に安く売り渡されました。
これによって「自作農」つまり、「自分で耕す土地は自分の所有物」という現代の日本にまで受け継がれる農地の構造が完成しました。
これによって、1940年代30%ほどあった小作農は5.6%にまで減り、反対に、30%ほどあった自作農は60%以上に増加しました。
成功した農地改革|GHQとの関係
農地改革は、戦後の民主化政策の中で最も成功した政策といわれています。
というのも、先ほど紹介したように、小作農から自作農への転換が非常にスムーズに行えたからです。
これはGHQが及ぼした影響もあるといわれています。
GHQは戦後の日本の民主化のために影響を及ぼしました。日本政府は、GHQが許した政策以外はとることができなかったからです。
第一次農地改革と呼ばれた日本政府が用意した最初の案は「不十分である」としてGHQは承認しませんでした。民主的な第二次の案がGHQで許可され、農地改革へとつながっていきます。
良くも悪くも、戦後の政策を語るうえでGHQの存在は看過できません。
まとめ
戦後の農地改革について解説してきました。農地改革とは…
です。背後に存在していたGHQの存在も見逃せませんね。


