1923年のドイツのハイパーインフレーションは、経済学や歴史学の象徴的な出来事です。
パン1kgが数千億マルクになり、子どもがお札の束で遊ぶ。第一次世界大戦後のドイツでは、そんな光景が見られました。
しかし、そうしたインパクトのある事象は有名ですが、それがなぜ引き起こされ、何がどれほど値上がりし、人々はどう暮らしていたのか、そしてどう収まったのかまではあまり知られていません。
そこで、この記事では、ドイツのハイパーインフレーションについてわかりやすく解説します。
ドイツのハイパーインフレとは
ハイパーインフレーション(ハイパーインフレ)とは、数カ月などの短期間に、物価が数百倍から数億倍と言った極端な上昇を示す現象を言います。
ドイツも第一次世界大戦後の1923年にこのハイパーインフレが起こりました。
パン1kgの値段が、約3か月でおよそ290万倍になった記録があります。 1923年8月には約6万9,000マルクだったものが、11月には2,000億マルクを超えました。
パンが数千億マルク、お札が遊び道具に
卵や牛乳、交通費も桁違いに上がっています。次の表は、同じ年のベルリンで記録された価格です。
| 商品・サービス | 1923年6月9日 | 1923年12月2日 | 何倍になったか |
|---|---|---|---|
| 卵1個 | 800マルク | 3,200億マルク | 4億倍 |
| 牛乳1L | 1,440マルク | 3,600億マルク | 2億5,000万倍 |
| じゃがいも1kg | 5,000マルク | 900億マルク | 1,800万倍 |
| 路面電車の運賃 | 600マルク | 500億マルク | 約8,333万倍 |
出典:Planet Wissen「1923年のハイパーインフレ」
給料も上がりましたが、値上がりに追いつきませんでした。
給料を毎日支払い、受け取った人がすぐに買い物へ向かう光景も見られます。明日には物価がもっと上がり、同じお金で買えるものが減ってしまうからです。
100兆マルク紙幣まで登場
ドイツでは、100兆マルクと書かれた紙幣まで作られました。数字にすると、100,000,000,000,000マルクです。

これほど大きな金額の紙幣が必要になったのは、買い物に必要なマルクの額が膨らんだからです。小さな額面のお札のままでは、大量の紙幣を持ち運び、数えなければならないために、超高額紙幣が必要なのです。
例えば1万円札を100兆円分用意しようとすると、1万トンにもなります。
札束で遊ぶ子どもたち
当時の写真には、札束を積み木のように積み上げて遊ぶ子どもたちが写っています。

値上がりによって、小さな額面のお札ではほとんど物が買えなくなりました。物の買えない紙幣など、文字通り「紙クズ」です。そのため、紙幣が遊び道具になったり、燃料として燃やされたりしたのです。
ハイパーインフレはなぜ起こるのか
ハイパーインフレは、その国の国民が、その国の通貨への信認を無くすことで起こります。
「信認」というのは、商売や給料としてその通貨を受け取る際に、受け取る側が「また次の経済取引でも同じ価格の商品と交換ができる」と思ってくれることを言います。
下記の画像の状態が成り立つのは、その「信認」があるからです。

通貨自体はただの紙であり無価値です。
だから、通貨の受け取り主が
「次は同じ価格で商品を買えないかも」
と疑うようになると、
「以前より多めに通貨を受け取らなければ安心できない」
と思うようになり、徐々にモノの値段が上がっていきます。
この疑いが頂点にまで達すると、例えば卵に800マルク→1000マルク→100万マルク→3200億マルク…と、文字通り「桁違い」のインフレが起こるのです。
ハイパーインフレは通貨の増発が直接的な原因
こうしたハイパーインフレは、通貨のけた違いの増発によって引き起こされることがほとんどです。
通貨は、それ自体に価値はないため、交換される商品や労働の総量を超えてたくさんの通貨が発行されると信認が揺らぎます。以下で一例を考えてみます。
例えば、商店街のおじちゃんが一人で経営している小さなコロッケ屋さんが、「コロッケ交換券」を発行したとしましょう。
この交換券が2枚や3枚なら、「交換券1枚とコロッケ1個と交換してくれる」と言う信認は揺らがないでしょう。
しかし、交換券が100枚、200枚となったらどうでしょう?さらに、
「おじちゃんが交換券をばら撒きまくっていて、町内で交換券を500枚持っている人が何十人もいる」
といったうわさを聞いたらどうでしょう?
「本当にコロッケ交換券1枚でコロッケ1個と交換してくれるだろうか」
そんな疑念が出てくるはずです。
「交換券」の実態のある商品(コロッケ)の生産量を超える無秩序な増発により、「交換券」が実態のある商品(コロッケ)と「必ず交換できる」と言う信認が揺らいだということです。
ハイパーインフレーションも同じで、通貨量が実際に供給できる商品や労働の総量よりも多く発行されてしまうと、徐々に通貨量の多さに不安・疑念を抱く人が増え、それが激しい物価高騰につながっていくのです。
ドイツのハイパーインフレが起こった原因
では、そのハイパーインフレは、なぜドイツで起こったのでしょうか?
それは、ドイツの第一次世界大戦とその敗北により、通貨を大量に発行したことにあります。
より具体的には、次の三つが重なったことが要因と考えられます。
- 戦費調達のための「国債直接引き受け」
- 莫大な賠償金支払い
- ルール地方の占領の影響
要因① 戦費調達のための「国債直接引き受け」
第一次世界大戦の戦費について、政府は新しく国債を発行し、それを中央銀行が新規に発行したお金で買わせていました。いわゆる「直接引き受け」です。
第一次世界大戦は、それまでの局地的な戦争と比べて規模が大きいものだったので、戦費も莫大になりました。
大々的な徴兵や戦車や毒ガスといった最新兵器を次々と投入したこと、戦争期間も5年弱に及ぶなどお金のかかる要素が非常に多かったのです。

要因② 莫大な賠償金支払い
第一次世界大戦は英国などの連合国が勝利し、ドイツは敗戦しました。
敗戦国となったドイツには賠償が課されました。
1921年に定められた賠償金総額は1,320億金マルクです。これは、同年のドイツの国民所得の約3倍強に及びます。
今の日本(2025年GDP=約666兆円)に単純に換算すると、2000兆円にも及ぶ計算です。
賠償金自体は金(ゴールド)を基準にしていたため、紙幣増発では賄えませんが、賠償金を支払うことで精いっぱいで、国内の通常の需要等に関しては紙幣増刷で賄うしかなく、ハイパーインフレを進める大きな要因になりました。
要因③ ルール地方の占領の影響
これが一番意外かと思いますが、ルール地方という、ドイツの工業地帯が占領されたことも、ハイパーインフレに大きな影響を与えました。
ルール地方は、ドイツの北西に位置する石炭や鉄鋼の生産が集中する工業地帯です。ドイツにとって賠償金を支払うための外貨を稼ぐ大切な土地でした。

賠償金は国民所得の約三倍にも及ぶ巨額なものでしたので、国の資産の切り崩しや増税だけでは賄えず、毎年輸出等でお金を稼ぐ必要があったのです。そのお金稼ぎの「主砲」とも呼べる地域がルール地方でした。
ところが、戦後、賠償が滞ったことを理由に、フランスとベルギーがルール地方を占領しました。そこで、それに反発したドイツ政府はルール地方の人々に対し、占領側への協力を拒むよう呼びかけ、鉱山や工場、鉄道の仕事が大きく滞ります。
生産や輸出、税収が落ち込む一方、政府は抵抗する労働者や企業を支えるため、さらにお金を増やす必要があり、通貨の増発につながったのです。
ドイツのハイパーインフレはどう収束したのか
このような大変な事態、どう収束したのでしょうか?
それは、政府が①紙幣の増発に頼る政策を改め、②新通貨「レンテンマルク」を導入することで収束しました。 1923年11月、急激な物価上昇に歯止めがかかります。
紙幣増発に頼る政策の中止
ハイパーインフレによる生活苦と混乱でドイツ国内ではそれまでの政権が支持を失い、1923年8月、経済再建を進めるシュトレーゼマン政権が誕生しました。
新政権は
- ルール地方の占領への抵抗中止
- 支出削減・増税
- 中央銀行の政府借用証書の買取中止
など、収入増加・支出削減を行い、紙幣増発に頼る政策を改めました。
特に、1923年9月に行われた、ルール地方の占領への抵抗の中止は、国内から「フランスへの屈服だ」と反発が起こるなど政治的にはかなり複雑かつ難しい決断でした。
新通貨「レンテンマルク」の導入
1923年11月15日、1レンテンマルク=従来の1兆マルクとして、新しい通貨が発行されました。

これにより、天文学的な数値にまで膨れ上がっていた紙幣の金額が元に戻ります。いわゆる「デノミネーション(通貨の桁数を改める政策)」に近い政策です。
ただお札を取り替えても、また大量に発行すれば同じことが起きます。そこで、新通貨には発行量の上限を設け、農地や工場などの資産を担保にしました。
賠償金の見直し
さらに、この大混乱は国際的にも影響を与えました。
1924年には、賠償をめぐる対立の行き詰まりを受け、支払い条件を見直すドーズ案が成立しました。ドイツは外国からの融資もうけることができ、その後の経済が安定しました。
ドイツのハイパーインフレについて、よくある疑問
賠償金は、結局すべて支払ったのか?
ドイツは当初示された1,320億金マルクを、そのまま全額支払ったわけではありません。
ドーズ案やヤング案で条件が見直され、世界恐慌後の1931年には支払いが一時停止されました。1932年のローザンヌ会議では、賠償の大部分を取り消す合意に至り、その後、賠償支払いは事実上終わりました。
ドイツ以外で起こったハイパーインフレは?
ドイツ以外でもハイパーインフレが起きた例はたくさんあります。
例えば、2000年代のジンバブエでも起きました。
ジンバブエでは、生産の落ち込みや中央銀行による資金供給の拡大などを背景に、自国通貨の価値が急落しました。ドイツのように「100兆ジンバブエドル札」も発行されました。米ドルなど外国通貨を国内に流通させたことで収めました。
ドイツやジンバブエほどのハイパーインフレではないですが、第二次世界大戦後の日本も深刻なインフレに見舞われました。こちらは傾斜生産方式を行うなどしましたが効果がなく、1ドル360円に固定するドッヂ=ラインによってようやく収束しました。
▼引用・参考文献
- ドイツ歴史博物館(DHM)「Die Inflation」掲載ページ(インフレの原因、紙幣増発、外貨購入とマルク安、生活・貯蓄への影響)
- ドイツ歴史博物館(DHM)「Verkauf und Reparaturen im Tausch gegen Lebensmittel」掲載ページ(1923年8月・11月のパンの価格、食料との物々交換。)
- Planet Wissen「Die Hyperinflation von 1923」掲載ページ(卵・牛乳・じゃがいも・路面電車などの価格比較、紙幣が遊び道具や燃料になったエピソード)
- 国立アメリカ歴史博物館・National Numismatic Collection所蔵「100兆マルク紙幣」紙幣の画像・資料情報(Wikimedia Commons)(高額紙幣の実物)
- ドイツ連邦銀行「Inflation – lessons learnt from history」掲載ページ(給料の日払い、急いで買い物をする行動、戦費・政府支出と中央銀行による通貨発行の関係)
- 米国務省歴史局「1921年5月5日の賠償支払計画」歴史資料本文(賠償総額、支払方法等)
- 1914–1918-online:第一次世界大戦史百科事典「Ruhr Occupation」掲載ページ(ルール地方の産業、占領と消極的抵抗、生産・輸出・税収への影響)
- ジョン・メイナード・ケインズ『平和の経済的帰結』第5章「賠償」(1919年)原文PDF:The Economic Consequences of the Peace, Chapter 5: Reparations(賠償を支払う能力、保有資産と将来の生産・輸出、過大な賠償要求への批判)
- ドイツ歴史博物館(DHM)「Die Währungsreform 1923」掲載ページ(レンテンマルクの導入、交換比率、資産を担保とする仕組み、財政再建
- レンテン銀行「Vor 100 Jahren: Die Hyperinflation von 1923 – Von der Rentenmark zur Förderbank」掲載ページ(ハイパーインフレとレンテン銀行設立、新通貨による安定化の経緯
- 「レンテン銀行設立令」(1923年10月15日)法令本文・解説:1000 Schlüsseldokumente(新通貨の担保、発行上限、政府への貸付上限、中央銀行による政府への資金供給の制限)
- ドイツ連邦政治教育センター(bpb)「1923 als Schlüsseljahr für 1933?」掲載ページ(国内の混乱、政権交代、ルール地方での抵抗中止と反発、通貨改革・財政再建)
- ドイツ連邦議会「Die Rolle des Reichstages in der Hyperinflationskrise I – Die Regierung Stresemann」掲載ページ(シュトレーゼマン政権の成立、連立内の対立、改革を実行するための権限付与)
- ドイツ連邦議会「Die Rolle des Reichstages in der Hyperinflationskrise II – Die Regierung Marx」掲載ページ(後継政権による安定化政策の継続、議会の支持、税制改革)
- ヒャルマル・シャハト「Hjalmar Schacht on the Stabilization of the Mark」(1927年)原著抜粋:German History in Documents and Images(通貨改革の専任責任者への就任と、その権限についての本人の回想)
- ドイツ連邦公文書館「Beginn der Räumung des Ruhrgebietes」掲載ページ(ドーズ案と、1925年のフランス・ベルギー軍のルール地方からの撤退)
- 米国務省歴史局「The Dawes Plan, the Young Plan, German Reparations, and Inter-allied War Debts」掲載ページ(ドーズ案・ヤング案、外国融資、賠償支払いの停止とその後の処理)
- 国際通貨基金(IMF)「IMF Executive Board Concludes 2009 Article IV Consultation with Zimbabwe」掲載ページ(ジンバブエのハイパーインフレと、外国通貨の利用による収束)

